1.はじめに

 21世紀を迎えた頃には、ぼくの仕事の方法論は確立していたように思う。それなりに成果も出していたつもりだったが、周囲からの評価は「二極化」していた。高く評価してもらえたかと思えば、同じようにやっているのに「人間性」まで否定されてしまう・・・この現象について、何が原因なのか自分でもよくわからなかった。

 ぼくの話は「理屈っぽい」と言われる一方で「抽象的すぎる」「禅問答だ」とも言われていた。パズルがはまる時は「フロー」に乗っている感覚があり、自分でもイメージをうまく言語化できずに苦しむことがあった。批判はあながち的外れではないと受け止めていた。

 なんだかんだでビジネスは結果が全て、当時はビフォーアフターで成果を出して自分の方法論の正しさ(?)を証明するしかなかった。あれこれ言い訳せずに周囲の雑音を封じるのは、ぼくの気質にも合っていた気がする。しかし、それでは周囲と温度差が生じてしまう。
 何度か痛い目に遭って、ほどほどのところで切り上げることを学んだ。やるべきことをやったら、潔く次のミッションに移る・・・自ら構築した仕組みや信頼関係には愛着が湧くけれど、それに執着することこそが自身と組織の成長を妨げる要因ではないかと感じるようになった。

 うまくいっていない現場のテコ入れを繰り返したことで、ぼくは組織改革のノウハウを会得した。プロジェクトマネジメントの教本には「みんなが幸せに」といった表現が出てくる。自分の半径何メートルかでも「流れ」が変わって、チームが自発的に動けるようになると状況は自ずと上向いた。それに対価を頂けるならば「一隅を照らす」ように現場を渡り歩いて、年老いたある日ぽっくり逝ったとしても幸せな人生ではないかと思っていた。

 ぼくが途中で解任された(或いは序盤で降りた)プロジェクトは後に必ずと言っていいほど破綻しており、その確率はほぼ100%になる。事業部や法人の解散に至ったケースもあり、後から知る限り関係者のほとんどは組織に残れずバラバラになっていた。痛い目に遭ったのは自分だけでなく「みんなが不幸に」なっていた。

 そこには、多くのプロジェクトが直面する普遍的な法則、定型的なパターンがあるように感じていた。それを克服するノウハウには社会的な価値がある・・・後付けになるが、ぼくが新たなチャレンジを繰り返してきた背景には、そんな問題意識があった気がする。

 身につけたノウハウを活かしながら「プロジェクトの成功率を高める」には、どこをどう改善すれば良いのか?・・・それを考えた時に、まず真っ先に取り組むべきは自分自身の「説明能力の不足」だと感じた。

 何より、自分自身の「人間性の問題」として、それを克服しておきたかった。