〜ぼくはどうやって仕事を覚えてきたか?〜

社会人のスタートが製造業だったので、カイゼンやPDCAを習慣として叩き込まれた。大企業のヒラ社員としてひと通り経験を積ませて頂いたが、下っ端としては製造現場の品質トラブルを「押し付けられる」苦労があった。交代制で昼夜稼働している現場から呼び出される度に本来の設計業務が滞ってしまい、残業や休日出勤が常態化する悪循環に陥った。
しかし、腹を括ってやっているうちに「トラブルシューティングほど学びの多い仕事はない」と感じるようになった。結果的にずっと製図版に向かっているよりも早く、高い密度で仕事の進め方や技術ノウハウを習得できたと思う。そこから多くの問題意識が芽生えた。
精神論と揶揄されるかもしれないが、こうして「逃げない」姿勢が身についた。新たな分野に転身してからも、そんな自分に「白羽の矢が立つ」ことは多かった。トラブル対応にアレルギーがないと(修羅場と化した)現場の最前線でマネジメント経験を積む機会が得られる。わかりやすい実績になるため、余計なアピールをする必要もなくなった。
炎上し掛けてから助っ人に入るのではなく、早い段階からメンバーに入れてほしいと常々思っていたが、経験や実績を重ねてそれがようやく叶うようになってきた。ぼく自身の責任や守備範囲が広がるにつれて、経営に直結する貢献ができるようになった。
企画の段階から「わかる」人間が入ることで、アイデアや進め方を上流工程からブラッシュアップできる。ぼくにはいいことづくめに感じられたが、そうなってみてはじめて商売人との「目的意識の違い」を肌で感じるようになった。それと共に、ぼく自身の「説明能力の不足」を問題として自覚するようになった気がする。
現場では「悪い情報ほど早く」そして報告には数字を含めた「正確さ」が求められる。炎上するプロジェクトには、こうした「秩序」に欠ける風潮があった。しかし、企画や営業の段階では駆け引きもあり、度が過ぎる厳格さはマイナスに受け取られかねない。役割としては堅実性を求められながらも、ぼく自身は柔軟さを心掛けなければならなかった。
また、特にテクノロジー関連の案件は、安全確実なだけでは収益力や成長性に乏しい。新しい発想に積極的にチャレンジする必要があったが、そこで何かが問題になった場合、現場の管理者はその責任から逃れられない宿命にある。
緊急度の高い指示出しに追われて、関係各所からの問い合わせに片手間でしか対応できなかったりすると、余計に不興を買ってしまう。いったん「責任追及」モードになると、政治的な駆け引きで全く歯が立たなかった。
ぼくは人や組織のマネジメントを、自然科学のメタファーで考えていた。そのことも周囲と価値観のずれを生む要因になっていたと思う。例え成果につながっても、それらはあくまでもヒントでしかなく、再現性を保証できる「科学的な因果関係」はない。技術者や現場からの信頼は結果に伴って自ずとついてくるが、一部の上層部や他部門からは「属人的」と批判的に見られる傾向があった。
自然の法則に逆らうような計画を、ぼくは絶対にうまくいかないと感じてしまう。それはどこか「信仰」に近い。頭の中でシミュレーションすれば「結果が見える」ことでも、信仰の異なる相手に理解してもらうのは非常に難しかった。仮に説得できずに強行された場合、予見した通りの結末を迎えることになるが、それを見届けるまで眠れない日々を過ごす羽目になる。(そして、その後始末に駆り出される可能性も高い)
この問題の本質は、ロジックなのかサイエンスなのか、或いはアートやセンスといった領域なのか・・・自分には何ら確証がなく、わかりやすく説明することも、強く主張して押し切ることもできなかった。